Hyakuyo's Box

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降谷零と彼を巡る人々の心理学的分析・考察

【心理】3人の「怖い男」~緋色組の研究

「僕には僕以上に怖い男が2人いるんだ」。これは「ゼロの執行人」での雨の日本橋における降谷さんの台詞ですが、今回はこの「怖い」という言葉がどういう意味を持つのかについて心理学的に考察します。

 

 尚ご承知の方が多いと思うのですが、降谷さんの言う2人の「怖い男」というのがコナンくんと赤井さんであることは、公式に明言されています。なので今回は、降谷さん・コナンくん・赤井さんという「緋色組」の考察となります。

 

 この台詞を読み解くにあたっては、そもそも「怖い」とは何かについて明らかにする必要があります。

 またしても前置きが長くなります。すみません…。

 

「怖い」というのは感情の一種ですが、この「感情」という言葉の概念がわりと厄介なので、まずはそこから整理したいと思います。

※「感情」の定義は意見が分かれるところがありますので、ここから先は私が普段準拠している考え方での説明となります。ご了承ください。

 

 人間には「情動」というものがあります。あまり聞き慣れない言葉かと思いますが、「情動」というのは分解すると以下の3つの要素から成り立っています。

 

・身体的な喚起(心臓がどきどきする、血圧が上がるなど)

・表出行動(笑い声をあげる、いきなり殴りかかるなど)

・意識体験(思考や、悲しみや喜びなどのいわゆる「感情」)

 

 この3つのうち、意識体験(感情)というのは他者からはわからない主観的なものですが、身体的な喚起や表出行動は外からの観察が可能です。

 客観的データを大切にする自然科学系の研究者の方々は、「情動」を「感情の下位概念」として扱っています。平たく言えば、「感情」が発生すると同時に現れる身体的なデータを集めて「感情とは何か」ということを研究しているのです。

 たとえば研究協力者にfMRIに入ってもらって悲しい場面や嬉しい場面の写真を見せ、「悲しいとか嬉しいとかいう感情が起こったときに脳はどのへんが活性化しているのかな」ということを調べたりして、「感情」の本質に迫っています。

 

 つまり「感情」というのは、「何か刺激となるものを受け取ったときに発生する、身体活動にまで大きな影響力を及ぼすほどの力を持つ何ものか」であるということです。

 

「怖い」というのは「嬉しい」や「悲しい」と同じ感情の一種です。

 

 ところで「感情」というのはいつ何に対してでも起こるものではありません。ラザルスさんという方が研究をもとに作ったモデルによると、1つの出来事を知覚しても感情が生起されることとされないことがあります。これは当然で、見るもの触るものにいちいち感情を覚えていたら、人は生きていくのがすごく大変になってしまうからです。

 生活の中で何らかの感情を生起するようなものに出会ったとき、人は瞬時に状況を評価し、「ポジティブな感情」か「ネガティブな感情」のどちらかを発動します。自分の持つ「感情リスト」の中から、ポジティブなら「楽しい」とか、ネガティブなら「悲しい」とかを選ぶわけです。もちろん、1つではなく複数選択することもあります。

 

「怖い」は当然、「ネガティブな感情」の方に入ります。

 

「怖い(恐怖)」という言葉の概念は、「ある危機的な状況に対する緊急的な反応」と説明されます。何か自分の生命を脅かすような状況に直面したときに発動するので、これはかなり動物的な反応ということができます。実際、情動反応は猫や馬などの動物にも起こります。

 

「怖い」という感情が選択されると、「逃げる/戦う/身動きできなくなる」の3つのうちのどれかの反応が誘発されます。

 大抵は回避行動に出ますが、戦う(攻撃する)こともあります。しかし戦うことは手が出るにしろ口論するにしろ「相手と接近すること」なので、「怖い」という感情を持った場合はあまり選択されないことが多いです。接近行動をするのは「自分にとって快である場合」であって、「怖い」ことは「不快」なので…。

 ただ、これは生物学的な見地からの話で、実際には人は「不快なのにあえて接近してしまう」という不思議な生き物でもあります。お化け屋敷に入ってみたり、ジェットコースターに乗ってみたり…。人の心はほんとに不可解です。

 

 そしてここで、降谷さんの「怖い」関しても「ん?」という話になります。

 降谷さんはコナンくんに自ら接近していますし、赤井さん(沖矢さん)のことも見張ったりして、ずいぶん接近しています。なのに「怖い」…?

 

 また、風見さんは降谷さんとの接近を自ら選択して行っているわけではなく仕事として行っているわけですが、ゼロティを見る限り特に避けているわけではないようなので、風見さんのいう「怖い」にも「?」マークが点灯します。 

 

 恐怖という感情は回避行動を誘発することが多い。それなのに回避しないのはなぜなのか。

 この「怖い」という言葉の正体は何なのか。

 

 ここでやっと心理学っぽい話が登場します(いや、今までも心理学なんですが…)。

 

 心理学では、「怖い」という感情を、今まで述べてきたような危機感とは区別した「恐れ/不安」という意味で捉えることがあります。

 おそらく生理学的な脳の活動としては、「思わず回避行動をとるような怖さ」と「不安」は厳密には違う反応を示すと思うのですが、人が普段使う言葉というのはそんなに厳密ではありません。

 普段の生活の中で「怖い」という言葉を使うときを思い出してみてください。「犬にかみつかれそうになって怖かった」というような身体の危機を感じた場合も、「明日のテストでどんな問題が出るかわからなくて怖い」という心理的な不安の場合も、同じように「怖い」という言葉を使ってはいないでしょうか。

 

 執行人で降谷さんや風見さんが言った「怖い」というのは、こちらの「恐れ/不安」の方の意味と思われます。

 

 では、前者の「怖い」と後者の「怖い(恐れ/不安)」はどう違うのか。

 前者の恐怖は、「明確で具体的な危険がある」という認知に基づいて発動されます。生命に対する何か具体的な脅威がある場合の感情であり、現実の危機に基づいている感情です。

 一方で後者の恐怖(恐れ/不安)は、よりわかりにくく、はっきりしない危険についての予期です。より実体のない、起こるか起こらないかすらわからない危険について発動される感情です。

 

 この「よりはっきりしない危険についての予期」である「恐れ/不安」は、対象となる刺激に対して明確な反応をすることができません。戦うにしても何を攻撃していいかわからないし、逃げるにしても何から逃げていいかわからないからです。相手がまるで亡霊のようにぼんやりしているので、どうしようもない。

 

 こう考えると、降谷さんが2人のことを「怖い」と表現したのは主に2つの理由からではないかと考えられます。

 

 1つ目。降谷さんが相手にしているのは、「存在しないはずの存在」だからです。

 緋色シリーズで電話の声を聞き、生きているということは確認が取れたものの姿は見ていない赤井さん。沖矢という不思議すぎる大学院生の姿で生きている彼の実体を掴みたいのは、この「怖さ」を曖昧なものからよりはっきりとした対象として認識したいためではないでしょうか。

 また、もっと厄介なのはコナンくんです。安室さんとして日常的に接する中で「どう考えてもこの子はただの小学生じゃないだろう」と感じてはいるであろう降谷さんですが、その正体が工藤新一くんであるとは知らない。「何なんだこの異様に頭の切れる謎の存在…」という、コナンくんの実体の掴めなさ。

 

 2つ目。その「存在しないはずの2人」が、あまりにも頭の切れる、降谷さんにとってすら予測不可能なことをする存在だからです。

 降谷さんはミストレと緋色シリーズで2人の前に苦汁を嘗めています。日本警察のスパイとして組織壊滅作戦を立て、実行する降谷さんにとって、「次は一体何をしてくるのか?」という思考の読みきれない人物が2人もいることは、下手をすれば命取りにもなりかねません。不確定な要素はできるだけ取り除きたいのに、それが2つもある。これも降谷さんにとっては「怖い」と感じる大きな要因ではないかと思います。

 

 ただそうは言っても、降谷さんだってトリプルフェイスを使い分けているわけです。風見さんが「怖い」と言ったのもまた、「この人の実体は?この人は何を考えているんだ?」が根底にあるのだと思われます。風見さんは警視庁の方なので、警察庁のゼロに所属している降谷さんが何をしているかについては知らないことも多いはず。同じ案件について仕事をしていても、立場が違うことに加えて頭が切れすぎる降谷さんに対して「実体が掴めない」という感覚を持つのは、頷けるところがあります。

 

 でも降谷さんは、風見さんに対して言うのです。「きみには僕の実体が掴めていないだろう。でもきみが怖いという僕には、僕以上に実体が掴めない人間が2人もいるんだ」と。

 

 共に仕事をする部下にさえ実体を掴ませることを許さない降谷さんは、たった1人で「自分以上に実体の掴めない2人の男」と戦っている。それがじわっと出てしまったのが、冒頭のあの台詞なのかな、と思います。

 

 が、この実体のない2人の正体を探り続けていた降谷さんはついに、赤井さんの実体に一歩近づきました。それが黒ウサギ亭から9時間後の2人の邂逅です。

 工藤夫妻までもが登場したそこで、一体何があったのか。

 まだ原作では明らかになっていませんが、少なくとも降谷さんと赤井さんは顔を突き合わせたので、降谷さんの赤井さんに対する「怖い」は実体を持ったものとなり、ぼんやりした不安からは少し脱却したのではないかと思われます。また、もしもお茶を飲みながら「コナンくんの正体は新一くん」ということを聞いたのなら、コナンくんもまた降谷さんの中でよりはっきりとした実体を持ったはずです。

 

 それでも、降谷さんにとって2人が「怖い存在である」である感覚は完全には消えないのではないかと思います。ミストレと緋色シリーズで自分の予測を超えるプランを実行されているため、「思考の読めない人間である。また出し抜かれるかもしれない」という不安は残るからです。

 

 一方、コナンくんと赤井さんにとってもやはり、降谷さんは「怖い男」なのではないかと思います。何せたった1人で赤井さんが生きていることに気づき、追いかけてきた人物です。

 赤井さんが明言している通り、降谷さんは赤井さんにとって「敵に回したくない男の1人」です。この台詞が降谷さんの「僕には怖い男が2人いる」と対をなすものであるなら、やはり赤井さんにとっても降谷さんは頭が切れる上にトリプルフェイスを使い分ける「実体の掴めない男」である気がしますし、それはコナンくんにとっても同様なのではないでしょうか。だからこそコナンくんは、事件現場で安室さんとしての降谷さんを、いつも鋭い目で観察しているのだと思います。

 

 そして(ここからは私の単なる願望も入るのですが)、もしも彼らがお茶を飲みながら秘密を共有し、共同戦線を張ったのだとしても、その「怖い」という感覚は依然として緊張状態を保ったまま彼らの中に残るのではないかという気がします。

 彼らは相手の力を信頼はしても、安心感のある(弛緩した)関係を同等の能力を持っている相手には望んでいないような気もするのです。「彼らにしかわからない領域」の中で共同戦線を張るのだとしたら、最後の最後まで彼らの緊張状態は続くのではないでしょうか。

 

 それは決して「騙し合う」ということではなく、ざっくりとしたアウトラインや目的は確認した上で、それぞれがベストだと考える動きをし、それが最後には見事にぴったり噛み合う、というような。

 それが実現したのが「純黒の悪夢」だったのではないかと思います。真実を追い求めるヒーローが黒の組織という悪に立ち向かうとき、そこには2人の「怖い男」が控えていました。3人は事前に打ち合わせなどしていませんでしたが、目的を同じくすることでその歯車は最後には見事に噛み合い、結果的にあの観覧車へと3人を集結させました。

 

 その明晰な頭脳で常に真実を見極めてきた彼らにとって、「怖い」というのは相手への最大の賛辞なのだろうと思います。ミステリには常に「恐れと不安」がつきものです。次に何が起こるのかがわからない。何が真実なのかが見極められない。それぞれにとって、それぞれが「解けない謎」の部分を持っているという存在。

 予測不可能な「怖さ」を相手に感じる…相手を「ミステリ」だと感じることは、3人にとっては、互いの価値を最大級に認めた証拠ともなる感情なのではないかと思うのです。

(もちろん、新一くんにとって最大のミステリは蘭ちゃんですが!)

 

 この3人の関係の変化については、近いうちに原作で何か明かされるものがあるのか、それとも来年の映画で「異次元の狙撃手」級のとんでもない弾丸が発射されるのか…

 ほんとにわくわくさせてくださる素敵な作品だなあ、と生殺しにされながら思う次第です。

 

 来年の映画のタイトル、いろいろな予想が出ていますが、最初の3文字はやっぱり「緋色」なんでしょうかね。最後の4文字は、濁点がなかったのですべて清音の可能性が高いのかな…。真っ先に思いついたのは「緋色の痕跡」なんですがあんまりインパクトがないかな…。

 かっこいいコナンくんと赤井さんに大期待です。