Hyakuyo's Box

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降谷零と彼を巡る人々の心理学的分析・考察

【心理・所感】サバイバー〜「諸伏景光」という男

 諸伏景光という人は、何と苛烈な人生を送った人だったのか…

 少女だった真澄ちゃんに話しかける回想シーンなどから、優しく穏やかな「微笑みの人」というイメージがあったのですが、その下に途方もなく大きなものを抱えていたのだなあ、とWPS諸伏編を読み終えた今は思います。

 諸伏兄弟の静けさや穏やかさの下にある苛烈な炎は、高明さんの場合は「自らの進退をかえりみず勘助くんを探しに行った」という普段の冷静沈着さに見合わぬ行動からうかがい知ることができるのですが、景光さんはその素顔がWPSでほぼ初めて明かされただけに、衝撃は大きいものがありました。

 

 景光さんはその亡くなり方と状況ゆえに、どうしても悲劇性を背負ってしまうところがあります。特に降谷零というキャラクターにとって。

 降谷零と赤井秀一の間にある大きな因縁。それは、景光さんが降谷さんの親友であり、同じ公安警察官でもある唯一無二の存在だからこそ作られたものです。

 この因縁が巡り巡って赤井秀一の劇的な来葉峠の復活があったことを思えば、諸伏景光が本編で果たしている役割の大きさたるや…。

 投影、憎しみ、復讐心。あの降谷零が赤井秀一に対してのみさまざまな負の感情でがんじがらめになり、その本領を発揮できない。そして赤井秀一が登場しなかったからこそ、その枷を外れた執行人の降谷零があれだけ破天荒に輝いていたことを思ってしまうのです。

 その根底にいるのが、諸伏景光という男。

 

 景光さんの過去が明らかになった今、WPS諸伏編を読み終えた私の所感は、「ああ、この人は生き切った人なのだなあ」ということです。

 それは松田くんに対しても思ったことなのですが…

 彼らに共通しているのは、その死が一見「志半ば」に見えることです。松田くんは萩原くん死亡の原因となった犯人を自らの手で捕まえることはできず、景光さんもまた黒の組織壊滅の瞬間に立ち会うことはできませんでした。

 が、彼らは確かに「生き切った」という感じがします。

 諸伏編が終わった今、薄暗い影がどうしてもついて回っていた諸伏景光という人のイメージが、私の中でかなり明るいものに変化しています。

 

 景光さんについてそう思うのはなぜか。

 それは、彼が「サバイバー」だったことがとても大きいように思います。

 

 「サバイバー」…文字通り「生き残った人」。

 心理臨床現場でこの言葉が使われる場合、それは虐待や災害、事件事故などで心的外傷…いわゆるトラウマを負い、それを抱えながら生き続けている人を指します。

 景光さんは事件の被害者遺族であるとともに、現場に居合わせて心に深い傷を負った被害者本人でもある。そしてその傷をずっと抱えて生きてきた、紛れもないサバイバーです。

 

 心因性失声症や事件の記憶の解離、また悪夢やフラッシュバックなどの症状から、景光さんはPTSDと診断されていたと推測できます。

 トラウマが長期間に渡って心身に影響し、フラッシュバックや過覚醒を引き起こすのがPTSDです。生命に関わるような大きな出来事…戦争や震災、虐待などが原因となります。日本では、地下鉄サリン事件阪神淡路大震災によって広く知られるようになりました。

 ちなみに、ショッキングな出来事によって受けた心の傷がさまざまな症状を引き起こすということ自体が、アメリカでベトナム戦争帰還兵の治療が始まるまで精神医学の世界では軽視されていました。ベトナム戦争後はじめて、レイプや虐待といった、それまで光が当たることのなかった人たちへの治療や支援が始まったという経緯があります。

 

 あの一夜から始まった、景光さんのサバイバーとしての人生。

 景光さんは事件とともに生き、その人生は事件と常に不可分だった。そしてそれを乗り越えたとき、景光さんは胸を張って「自分は生き残り、今も生きている」と言えた。

 PTSDは他の精神疾患を伴うことが多く(8割以上とも言われます)うつや不安障害、アルコール・薬物依存になりやすく、死にたいという強い願望を抱く人も大勢います。景光さんも事件を何度も頭の中でリプレイし、固執し、時に過覚醒の状態になっている。「生きているということそれ自体が苦行」「人生に希望が何ひとつない」「生きている意味がない」…これはPTSDの方々の実際の声ですが、トラウマが深く身体に刻み付けられ、「心の持ちよう」などで治るわけはないのがPTSDです。

 

 景光さんの人生にも7歳のときからこの苦痛が存在し、それとともにずっと生きてきた。

 それを思うとき、兄に「友達ができたよ」と笑顔で電話をしたり、ベースを演奏したり料理をしたり、さらに「警察官になる」という意思を持つまでになるまでの道のりがどれほど苦難に満ちたものであったか。そしてそれに降谷零という親友がどれだけ大きな役割を果たしたか。

 降谷さんもそれを自覚していたはずです。

 

「警察官になる決意をした」…そこに景光さんという人の強さが表れているように思います。

 警察官になるということは、解離するほどつらい記憶だった事件に向き合うことだけを意味するのではありません。PTSDを引き起こした状況と似たような状況に何度も遭遇することも意味します。それは本来とてもつらいことであり、高明さんも弟が「警察官になる」と言い出したとき密かに心配したのではないでしょうか。

 失声症などの症状は克服しても、心身に刻まれた傷とは長い時間をかけて付き合っていかなくてはならないのがPTSDです。状況がまったく同じではなくても、ちょっとした音や匂いなどの断片に反応して大量のストレスホルモンが分泌され、しかもそれが体内で消散して基準値に戻るまでにも時間がかかります。身体への負担も大きいのです。

 それでも景光さんは、警察官を志していた兄・高明さんや親友である降谷さんに任せるのではなく、自らの手で事件を解決したいと願った。それは景光さんが「そうしなくては自分は自分の人生を取り戻すことはできない」と考えたからではないでしょうか。

 ある高名な心理学者は、PTSDを「魂の死」と表現しています。自分の人生が自分の手の中にないような感覚。自分の生への疑い。途方もない無力感。

 あの事件で失われた景光さんの魂は、降谷零と出会うことによって少しずつ回復していきました。ただ、その回復はその強さを景光さんが持っていたからこそ実現したものだと思いますし、その強さは7歳まで家族に愛によって育まれたものなのだと思います。警察学校での穏やかさはきっと、景光さんの本来持つ温和で明るいパーソナリティだと思うので…

 でも、その本来的な性格を取り戻すだけでは、景光さんは「自分の人生が完全に自分のものとして取り返された」という感覚を持つことはできなかったのだと思います。どうしても事件を解決する必要があった。

 警察学校で事件について調べる景光さんの表情は降谷さんが心配するほど鬼気迫るものでしたが、炎の中に犯人を追いかけ、救出した景光さんには「復讐心」は感じられませんでした。それこそが事件の記憶に苦しみながらも、決して「犯人憎し」だけでその事件を追いかけていたわけではないことの証左のように思います。

 

 警察官になる…それは景光さんの、自分の人生をしっかりと生きようとする意思の表れだったのだと思います。

 

 4人が下で広げる桜の旗の上に落ちていった瞬間。

 それは、景光さんはサバイバーとして確かに生き抜いてきた自分を誇りに思う瞬間だったのではないでしょうか。そしてあれが、WPS最大の見せ場だったとも思います。

 愛や友情、仲間との絆によって犯人を捕まえ、しかし「何があろうと決して死なせない」。コナンにおける絶対的テーゼはここにも適用され、そしてそれは諸伏景光という男が自分の過去に自分の手で決着をつける瞬間として描かれました。

 その瞬間を仲間たちが桜の旗で包み込んだこと。桜はWPSが始まる当初から彼らのモチーフでもあり、警察のシンボルでもあります。「警察官に必要なのは強さと優しさと絆」…今までのそれぞれのエピソードを総括し、それを象徴するような光景。

 景光さんと彼を苦しめ続けた犯人を受け止めた瞬間は、警察官として、かけがえのない仲間としての警察学校組の「5弁の桜」が完成した瞬間でもあったのかもしれません。

 

 そしてその旗を、今も降谷零は立て続けているのだと思います。他ならぬ仲間たちのために、たったひとりで。

 

 それから4年後、景光さんの人生は自決によって幕を下ろすことになります。

 ただ、景光さんの過去が描かれるまでは悲劇であったその死が、諸伏編が終わった今、「この人はこの人の苦しみをその強さによって克服し、精一杯生きたのだ」というふうに思えます。

 自死の瞬間に景光さんの頭に浮かんだのは、親友・降谷さんのことだったのではないでしょうか。

 自分の人生に光を与えてくれた少年。共に成長し、今は公安警察のエースとなった降谷さんの実力も真面目さも信念も純粋な思いもきっと景光さんは誰よりも知り、「あいつが絶対に組織を壊滅に導いてくれる」その確信を持っていたのではないかと思います。

 無念よりも何よりも、降谷さんに対するその信頼が、景光さんの抱いた最後の感情であったかもしれない。

 降谷零に出会って再開した景光さんの人生は確かに意味のあるものであり、今はその過酷な人生を強く生き抜いたことに静かに敬意を表すべきなのだろうと思います。

  

 降谷さんはいま「そっち側がよかった」という寂しい本音を抱えながらも、サバイバー・諸伏景光の生きた証を魂の一部として胸に秘め、自分もまた「生き切ろう」としているのではないかと思います。

 その死はいつ訪れるのかわからない。それは萩原くんや伊達さんを突然襲った死と同じように、いつ降谷さんにも訪れるかわかりません。

 でもその覚悟を常にしているからこそ、降谷さんは日々をあれほど精一杯生きているのかもしれないと思います。

 

 降谷零は強い男です。

 そして、親友である諸伏景光もまた、とても強い男だった。

 そんなことを思ったWPS諸伏編でした。