Hyakuyo's Box

Hyakuyo's Box

降谷零と彼を巡る人々の心理学的分析・考察

【心理】降谷零は人を殺したことがあるか

 ずっと気になっていることの1つです。

 組織では「情報屋」という扱いのようですし、ウィスキートリオで行動していたときにはスナイパーが2人付いている(コナンくんの推理が正しかったとしてですが)ので、殺さないことは可能なのかもしれません…。が、スナイパーは遠距離からの射撃を専門としていると思うので、狙いにくい位置にいたり密室だったりする場所で敵に遭遇したとき、どうしても戦闘の必要性は出てくると思うのです。

 

 降谷さんは人を殺したことがあるのか。ないのか。

 どう考えるかによって、降谷さんを見る目はかなり変わるような気がします。

 なんとなく、本編の降谷さんだと殺したことがあるように見えて、ゼロティの降谷さんだとないように見えるんですが…。これは完全に私の主観ですね。

 心理学的に考察してみます。

 

『「赤井秀一」という男』という記事の中で、人は人をなかなか殺せるものではない、というグロスマンの説を引きました。しかし同時にグロスマンは、「人が人を殺すことに抵抗がなくなる訓練や要素」についても論じています。また、ブラウニングという社会学者は、ホロコーストについての研究の中で、なぜナチスの親衛隊でもない一般市民がユダヤ人の虐殺を行ったのかについて、社会心理学的な考察を述べています。

 ベトナム戦争における米軍兵士、ホロコーストにおける民間出身のドイツ人兵士…これらは特殊な事例ではなく、誰でも、状況によって人は人を殺し得るのだとブラウニングは言います。だからこそ、私たちは歴史を研究し、その要因を明らかにすることで(要因は1つではありません)二度と悲劇を繰り返さないよう肝に銘じる必要があるのだと。

 

 ブラウニングによると、人が人を殺す要因となるのは、たとえば「権威」「立場」「順応」「仲間意識(孤立化を避ける)」などです。

 権威についての心理実験で有名なのは「ミルグラムの心理実験」です。権威を持つ人が命令したり肯定したりすれば、人はその行動が道徳的かそうでないかに関わらず人に苦痛を与えてしまうという結果が出ました。

 また、立場についての実験として有名なのは「スタンフォードの監獄実験」です。何でもない一般市民が看守役と囚人役に分かれたとき、ただの役割であるにも関わらず、看守役の中に非常に囚人を迫害する人が出てきました(傷つけることを断固拒否する人もいました)。

 順応や仲間意識というのは、その場に慣れてしまうとか、一緒に過ごす人の中で孤立するのを防ぐために同じことをしてしまう、とかです。

(ごく簡単にまとめましたが、これらが本当に複雑な絡み方をしてホロコーストの悲劇が生まれたので、興味のある方はブラウニングの著作をご参照いただければと思います。)

 

 また、上記だけが「人が人を殺す理由」では決してありません。ただ、殺人は「流れの中で」起こるものであり、よほどの快楽殺人者でない限り、いきなり「人が人を理由もなく殺す」という状況は生まれにくいものだと思います。殺人には何かしらの「流れ」があります。それは実験室の中では変数として取り入れられない、とても大切な要因です。

 

 赤井さんは、上記のような要因がなくてもスナイパーとして人を殺しているように思います。

 でも赤井さんは決して残酷な人ではありません。考察した通り、赤井さんは殺害を「状況の中で必要性が生じたときにやむを得ず行う」と考えているかなと。そこにリソースを大きく割かないし、それで心のバランスが乱れるようなこともありません。

 

 では降谷さんは?

 

 最も信頼性の高い証言は、同じ組織に所属するキールの「殺しはやらない」というバーボンについての説明です。少なくともキールはバーボンが「自分は殺しはやらない」と明言し、それが組織にも認められていると認識していたのだと考えられます。

 

 また、降谷さんは非常に信念のある人です。知能も、自分の思考と行動を統制する能力もとても高い上に警察官としての信念を持っているので、グロスマンやブラウニングの言うような「最初は抵抗を示すが権威に押されたり周囲から孤立するのを避けるために人を殺す」という戦時中に一般市民に見られた心理的過程はあてはまらないだろうと思います。

 そう考えると、やはり降谷さんは人を殺した経験はないという可能性が大きいのではないかと思います。

 

 組織の面々にはそれぞれ得意分野があるように見受けられます。狙撃のような実動部隊に所属しているのがコルンやキャンティ、諜報員として動いているのがベルモット、それを総括するのがジンというふうに。きっと組織に潜入する際には、何か「自分の売りとする能力」があり、それが組織の役にたつことを証明することによって、コードネーム持ちに昇格していくのではないでしょうか。

 その中で降谷さんが潜入の際に自分の「売り」としたのが、「情報を取ってくる能力」。

 降谷さんが「情報屋」を売りにした理由の1つには、「人を殺したくないから」があるのではないでしょうか。

 

 それにしても、組織はいろいろと悪いことをしてるのに「殺しはやらない」ことが認められる組織なんだな…。分業制がしっかりしています。

 

 閑話休題

 おそらく降谷さんは実際、殺しよりも情報収集の方が得意なのだと思います。自分の最大限に活かせる能力を駆使して組織に潜入するのが、中枢に入り込むのには最も効率的です。

 ですがそれとともに、降谷さんには自覚があったのではないでしょうか。自分の精神構造には脆弱性があり、いつ終わるとも知れない長期間の潜入で殺し続けることに耐えられるほど、自分は強くないということを。

 

 PTSDは発症しやすい人としにくい人、回復しやすい人としにくい人がいます。同じ状況に置かれても、人によってまったく違うのです。

 赤井さんは「やむを得ない殺し」をしても、精神のバランスを失うほど罪悪感に引っ張られることはないのではないかと思います。

 ただ降谷さんは、おそらくPTSDを(赤井さんみたいな人に比べれば)発症する危険性が高い素因を有しています。これはもう、降谷さんがどんなに有能な人であっても仕方のないことです。先天的な要因もありますし(どのくらいの割合かは議論の分かれるところ)、乳児期の愛着形成や発達過程での環境も大きいです。降谷さんは原作や映画で見る限り、知能がすごく高い人だし、リソースも効率的に配分できるし、一見PTSDの原因となるようなストレスへの耐性はとても高い感じがします。

 が、根底のところに不安を持っているので、そこが懸念されたのではないかと思うのです。

 一般的な人に比べれば全然問題がないレベルなのだとしても、何せ潜入捜査官として世界的な規模の組織に入る際、リスクはできる限り取り除くことが求められるのではないでしょうか。

 

 単なる想像ですが、降谷さんは潜入にあたって、数種類の心理検査を受けたのではないかなーと。

 それで、「微弱ではあるが過度の状況ストレスに耐える構造に脆弱性が見られる」というような結果が出たのではないでしょうか。

 ちなみに「状況ストレス」とは、ある状況によって一時的に上がるストレスのことです。ベースとなるストレス耐性が高くても、状況によっては心理的に過負荷状態になり、抑うつが現れたりすることはあり得ます。

 おそらく降谷さんはベースとなるストレス耐性は高い(そうでなくては長期の潜入とトリプルフェイスは無理)ですが、殺人のような極端な状況ストレスに耐えるにはあまりにも自我を強く持とうとし過ぎるのではないかと。「緩めない」というか、「吐けない」というか。

 降谷さんは聡い人なので、その結果に対して「そんなことない!」と反発するのではなく、「そういう要素が少しでもあるなら、その脆弱性が曝け出されない環境にいる方が任務成功の可能性が上がる」と考え、情報屋となった側面もあるのではないかとも考えられます。

 

 そして、その脆弱性を自覚している降谷さんは、「人を殺す」ことに相当慎重になると思います。

 さらに、そこにはもちろん、「警察官として宣誓したことは、組織に潜入しても簡単に変節しない」という強い意志もあると思います。「ゼロの執行人」を見ると、むしろ、こちらの方が大きい要素かもしれません。

 とにかく降谷さんは、たとえバーボンになったとしても、人を殺さない。少なくとも、「メリットがある」程度の理由では殺さないのではないかと思います。

 

 では、「生かしておくことが非常に大きなデメリットになる」場合はどうなのでしょう。

純黒の悪夢」で降谷さんが警察病院に向かったシーンがあります。キュラソーに会う前にベルモットに連れて行かれてしまいましたが、あのときもしベルモットが登場しなかったら、降谷さんはキュラソーに何をしていたのでしょう。

 キュラソーは降谷さんがNOCであることを知っています。もしも生かしておいて、キュラソーが組織の手に奪還されてしまえば、降谷さんのNOCバレは確実です。それは日本警察の組織との接点の消滅を意味します。また、景光さんの死に報いることもできなくなってしまいます。

 それでも降谷さんは、知っている情報を洗いざらい吐かせたあと、やはり殺さなかったのではないかと私は思います。然るべき機関に身柄を預け、法の下で裁かれることを望んだのではないでしょうか。

 公安は違法捜査がお得意とのことですが、「違法である」という自覚は、遵法の精神があって初めて現れるものです。公安が何でもかんでも好きにしているわけではなく、「現行の法では対応できず、法案を通している時間もない。しかしこのままではあまりにも被害が大きすぎる」という場合にのみ、違法な作業は行われるのではないかと思います。

 そしてこの「違法な作業」の中に、殺人は含まれていないのではないかと。「人を守るのが公安」という矜持の下だからこそ、違法作業は認められるのだと思います。

 

 では、「止むを得ず殺す」という可能性はどうでしょう(ばったり敵と遭遇するとか)。降谷さんはそのような状況になったとき、人を殺すのでしょうか。

 それもやっぱり、私は殺さないのではないかと思います。「人を殺すような事態にならないように」降谷さんは慎重に行動していると思いますし、もしも顔を見られたり情報を抜いたことがバレたりしても、「殺さずに忘れさせる」ような方法をいくつか持っているのではないかと。それには暴力も含まれると思いますが、命までは取らないのではないでしょうか。

 

 原作で降谷零の顔をしてコナンと話すときも、ゼロティでの降谷さんも、基本は明るくて優しい青年です。

 もしも直接的に人を殺していたら、あんなふうには振る舞えないのではないかと思うのです。また、人を殺さずに今までやってきた、という誇りそのものが、降谷さんを明るい表情にしているのかもしれません。

 

 ですが、情報を手の上に乗せて転がすことで、間接的に人の命を失わせてしまったことはあるかもしれないと思います。

 降谷さんはそこまで読んだ上で行動し、その上で出てしまった人的な被害については、しっかり受け止めているのではないでしょうか。降谷さんは、それまでも受け止められないほど弱い人間ではないと思うのです。直接手を下すことと、結果的に出た被害というのは、ちゃんと分けて考えるべきだと理解しているのではないかと思います。

 

 直接手は下さない。でも、自分が関わったことで出たかもしれない命の犠牲は、厳粛に、自分の責任としてきっちり受け止める。

 自分の精神的な脆弱性の正確な理解と、何よりも警察官としての誇りによって、人の命を奪うことはしない。

 降谷さんはそういう決意をして、組織への潜入を続けているのかなあと思っています。