Hyakuyo's Box

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降谷零と彼を巡る人々の心理学的分析・考察

赤井秀一が「敵に回したくない」と言った男〜降谷零のトラウマと情動脳

「君は、敵に回したくない男の1人なんでね」

 来葉峠で鮮やかに復活した赤井秀一が、降谷零に言った言葉です。

 赤井さんは降谷さんが自分を殺そうとしていることを知っています。にも関わらずそのことを責めることもなく、むしろ最上級の賛辞と言っていいようなこの言葉を降谷さんに告げているのです。

 これは一体どういうことなのか。「トラウマ」をキーワードに心理学的に降谷さん分析をしながら考察してみたいと思います。

 今回は、精神分析ではなく脳科学の視点から見た心理学の話です。

 

 

 トラウマ……日本語では「心的外傷」。

 人生の中で、虐待やレイプ、戦争や生死に関わる事件事故に巻き込まれ、人々が心に負う深い傷のことです。PTSDの原因となることでもよく知られています。

 降谷さんはPTSDを発症してはいないと思いますが、景光さんという親友の衝撃的な自殺現場を目撃したことは深い心の傷、トラウマになっていると考えられます。

 前段として、トラウマを負ったとき人の脳がどう働くのかを簡単にまとめます。例によって降谷さんに行き着くまでが長い(すごく簡略化はしているのですが…)のですがご了承ください。

 

 まずは、トラウマを負ったときの記憶と普通の記憶の違いについてです。

 トラウマ体験を思い出しているときの脳とニュートラルな状態の脳のスキャン画像を比較すると、その違いは一目瞭然です。

 前者のときに活性化するのは、大脳辺縁系と呼ばれる脳の中でも内側にある部分です。特に扁桃体という部分が活性化することが知られているのですが、ここは「煙探知機」とたとえる精神科医がいるほど、脅威に対して敏感に反応する部分です。ここが反応すると即座にアドレナリンなどのストレスホルモンが分泌され、その結果として心拍数や呼吸が増加したり、血圧が上がったりという身体反応が現れます。

 

 大脳辺縁系は別名「情動脳」と呼ばれています。たとえば「虫を見たら飛び上がる」というような反射的な筋肉の反応を思い出していただけるとわかりやすいと思うのですが、とにかく情動脳は反応が速いです。

 

 さらに「情動脳」と対比するものとして「理性脳」があります。これは脳のいちばん外側の部分、大脳新皮質のことです。動物の中でも人間に特に発達しているこの部分は、さまざまな情報を統合して選択、判断を下す役割を果たしています。

 この「理性脳」は何か身に危険なことが起こったとき分析というプロセスを経る分、情動脳よりも反応が遅いです。さっきの虫の例えで言えば、「この虫はおもちゃだ」とか判断するのが理性脳です。

 

「情動脳」と「理性脳」。どちらも人間の生存にとって欠かすことのできない部分ですが、トラウマを負った人たちはこの情動脳がとても敏感になっていることがわかった、というのがスキャン画像による研究です。

 

 ところで、敏感である、というのは必ずしも悪いことではありません。情動脳が鈍感だと危険に対して対処ができないからです。

 要は程度の話で、あまりにも敏感だった場合、今自分の置かれている状況が安全か危険かの正確な判断が難しくなってしまうというのが問題なのです。些細なことにも「はっ」と敏感になり、身構えてしまう生活を想像してみてください。たぶんものすごく疲れると思います。

「人はちょっと鈍感な方が生きやすい」と言われることがある所以です。

 トラウマを抱えた方々はこの情動脳がちょっとしたことで活性化し、さらに理性脳である前頭葉の活動が不活性化します。その結果、何でもないようなことがトリガーとなって感情を爆発させたり、逆に凍りついて動けなくなったりしてしまうのです。

 

 トラウマを負った人たちの脳に特徴的なことはもう1つあります。

 それはトラウマ体験を思い出したとき、脳がその出来事を「過去」のものではなく、正に「今」起こっているかのように認識し、反応してしまうことです。

 今いる場所がどんなに安全で「ここは戦場や虐待やレイプの現場ではない」と理性脳でわかっていても、情動脳には関係ありません。トラウマ体験を思い出せばいつでも「あのとき、あの場所」に戻ってしまうのです。その結果、いま現実に起こっているわけではない脅威に対処するため、アドレナリンなどのストレスホルモンを大量に分泌するよう指示を出してしまいます。実際にはもう戦う相手などいないにも関わらず、体は臨戦態勢に入ってしまう。戦うか逃げるか麻痺するかを選択する「闘争逃走反応」という状態に入り、理性脳の制御が効かない。

 いわば情動脳が暴走するこの状態に、トラウマを負った方々は苦しめられるのです。

 

 記憶というのはすごく主観的で変わりやすいものなので、たとえ恐怖経験をしても、時間の経過とともに傷が癒されればその記憶は当時とはかなり変化したりします。嫌な思いや怖い思いというのはすべての人が経験しますが、時間が経てばそれも思い出しやすい程度に柔らかいものになる、という経験は多くの人が持っていると思います。

 でも心的外傷を負うほどの恐怖を体験した人は、どれほど時間が経っても当時の記憶が生々しいまま変わりません。ずっとその恐怖の中にとどまり続けているのです。

 これはつまり「時間によって癒されない傷は存在する」という重い現実を表しています。

 

 前置きが長くなりましたが、ここから降谷さんの話になります。

 

 降谷さんは基本的に、ものすごく優秀な方です。バリバリの脳をお持ちです。

 また、それに比例してレジリエンス(ストレスに耐える力、乗り越える力)がすごく高いので、どんな極限状態にも冷静に対処できます。普通の人なら情動が揺さぶられるような場面でも認知がぶれず、目的に向けて情報を再統合し、迅速にプランニングできる理性脳の持ち主です。さらにトリプルフェイスを操っていることからわかるように、情動をかなり統制できます。たぶんこれが本来の降谷零の姿だということは、警察学校編の若き降谷さんの数々の活躍を見てもわかります。降谷さんは相当に「理性脳」の人です。

 

 が、あの屋上での記憶に関してのみ、降谷さんの情動脳は暴走します。前頭葉からのコントロールが効かなくなり、情動脳が優位に働きます。

 これはものすごく自然なことだと思います。あの屋上のシーンは普通の人なら前頭葉の機能が停止して情動脳が走り出してもおかしくないほど強烈なものだからです。むしろ今の降谷さんにあの場面の記憶がしっかりと残っており、スコッチの指の血痕まで確認できていたことの方が驚きです。あれほどのトラウマ場面に遭遇すれば、人は記憶を断片的にしか覚えていなかったり、目の前の現実を認識できなくなることの方が普通だからです。

 

 ただ、だからと言って降谷さんはまったく冷静だったわけではない。それは、赤井さんへの執着といっていいほどの強い感情からわかります。あの記憶は降谷さんをずっと苛み続け、それに対処するために「赤井秀一を殺す」という激烈な感情を抱いた。

 おそらく降谷さんは今もまだ、ヒロくんの遺体を見た瞬間のあの激烈な恐怖の中にずっととどまり続けているのだと思います。傷は傷のまま癒えることがなく、そのまま。

 

 私は以前、精神分析的な視点から「降谷さんが殺したいほど憎んでいる男、というのはおそらく自分のことである」という文章を書きました。

 赤井さんに投影をし、それを攻撃することで(そして赤井さんは決して死なないので安心して攻撃できる側面がある)自らの精神のバランスを保っているのではないか、と。

 

 では脳科学の視点から降谷さんのトラウマを分析し、「なぜ降谷さんは赤井さんを殺したいほど憎んでいるのか」を考えるとどうなるのか。

 赤井さんに執着するのは、あの光景を思い出すたびに降谷さんがあの時あの場所に身体的にタイムスリップしてしまうからなのではないでしょうか。

 前段で書いたように、トラウマを思い出すときというのは普通の出来事を思い出すときとは脳の活性パターンが明らかに違います。その出来事を、今まさにあのときと同じように「経験」している状態になるのです。

 それは、空気の冷たさや血液の温かさといった身体的な感覚、絶望感や怒りといった情動、匂いや音までが、すべてあのときとまったく同じように体験されるということでもあります。身体が実際に震え、筋肉は緊張し、呼吸や心拍数が増大します。

 このとき、脳の中では2つの重要な機能が停止しています。

 1つは時間の感覚と目の前の状況を認識し「あれは今起こっていることではない、今は安全な場所にいる」ということを理解する機能。もう1つはトラウマ体験のときの感覚や光景をひとつの出来事として統合し、理解する機能です。

 降谷さんはトラウマを負いながらもあの屋上での出来事をかなり正確に記憶しているとは思いますが、それでも統合しきれない混乱した記憶の中で、あの場にいた赤井秀一という男だけががっちりとフォーカスされ、ロックオンされているのではないでしょうか。

 

「今ここであの男を殺せばヒロは死なない」

 降谷さんは景光さんの死が自殺だということに気づいていますが、それを誘導したのは赤井さんだと思っています。赤井さんを止めさえすればヒロは助かる。それには赤井を殺すしかない。

 蘇る記憶を何度も体験しながら、降谷さんはその悲しい願いを叶えようとしているかのようにも見えます。

 その無意味さに、おそらく降谷さんの理性脳は気づいているはずです。でも、情動脳はそうではない。強烈な悲しみを経験してしまった情動脳の暴走は、そう簡単に止まるものではありません。

 

 これは降谷さんの強さの否定ではありません。トラウマというのはそれほどまでに重いものだということです。

 フロイト先生はトラウマを受けて抑圧された記憶を意識に浮かび上がらせることが回復だと言いましたが、現代の研究結果は必ずしもその説を支持しません。「トラウマを負った自分といま普通に暮らすことができている自分。2つに分裂しなくては生きていけない」そう言うサバイバーは大勢います。

 トラウマを抱えた人々と数多く接してきた精神科医や心理士は言います。

 

「あれほど痛めつけられた心の断片が安らかに眠れるような墓を見つけられる人はいない」

 

「彼ら(幼児期に虐待された男性たち)はジムに通い、筋肉増強剤を飲み、雄牛のように強靭な心と体を持っていたにも関わらず、心の奥底では自分は無力だと感じている怯え傷ついた少年だった」

 

 けれど、赤井さんはそんな降谷さんに言うのです。

「君は、敵に回したくない男の1人なんでね」

 

 それが全く慰めなどではないことは、この言葉が発された前後の状況からわかります。このとき赤井さんは降谷さんがバーボンでも安室透でもない「公安警察官・降谷零」であることを看過しています。おそらく、スコッチと降谷さんの関係も知っているでしょう。

赤井秀一は生きている」という降谷さんの予測は当たっていたのであり、コナンくんと工藤家の人々の協力がなければ赤井さんは決定的に追い詰められていた。自分を思い出せば情動脳が暴走するような状態の男、しかもそれに足る理由を持つだけの男が、その情動を強い意思の力で押さえに押さえ、自分のもとに乗り込んできた。

 

 深いトラウマを抱えながら自分をここまで追い詰めた男の能力に、赤井さんはおそらく驚嘆し、降谷さんを一人の力ある人間として認めているのだと思うのです。「敵に回したくない男」という最上級の賛辞を以って。

 

 降谷さんが公安警察官であるということを赤井さんが知ったとき、赤井さんは何より降谷さんの能力に驚嘆したのではないかと思うのです。あれほどの衝撃を受けても前頭葉の機能を停止させることなく自分の前で取り乱すこともなかった男。明晰であるがゆえに解離することもできず、つらい記憶をしっかりと抱き続ける。それは強いからこそ抱かざるを得ない苦しみです。

 そしておそらく赤井さんも、家族との別離や明美さんの死などによって、その「強いゆえの苦しみ」を体験した1人なのではないでしょうか。

 

 あのとき、降谷さんの前頭葉はずっと動いていた。情動脳に完全に支配されることはなく、暴走して自分が公安警察官、スコッチの親友だということを露呈することもなかった。

 あの傷すらも抱えてトリプルフェイスを演じ続けるほど強靭な精神力を持った降谷さんに、心理的な揺さぶりなど簡単には効かない。極限状態にあっても脳の機能が停止しない。

 赤井さんは誰よりもその優秀さを身を以って知っているからこそ、降谷さんを敵に回したくないのではないか。

 そしてそれほどまでに優秀な降谷さんを以ってしても負った傷はあまりにも深く、今もまだその傷は血を流し続けている。自分への殺意が止んでいない限り、その傷はまだ生のままなのだと赤井さんは理解しているのではないか。

 

 そこまでわかっていても赤井さんが対降谷さんの場面で決して手を抜かず、「狩るべき相手を見誤らないでいただきたい」というきついことをあえて言うのは、降谷さんを癒せるのは降谷さん自身しかいないとわかっているからなのではないかと思います。

 人生哲学を語ってそれに陶酔・依存させ、信者を作るような方法をカウンセリングとは言いません。自分の手で人生を取り戻したという自信と誇りこそが人を生きようとさせるのであり、カウンセラーの手を離れることがカウンセリングの成功です。カウンセラーの哲学を借りてそれに寄りかかる、それなしでは生きていけない状態にさせるようなカウンセリングは、カウンセラーの自己満足でしかありません。一種のメサイア願望を持っている病んだカウンセラーはたくさんいると思います。

 

 降谷さんはトリプルフェイスを駆使して任務を完璧に遂行しながら、その傷をひとりで抱え続けており、それは亡き親友の兄に再会してすら言葉を交わすことも許されないほど厳しいものです。

 赤井さんはそんな中で唯一、その死の真相も降谷さんの3つの顔すべてを知る者としてもそこにあり、そして降谷零という一人の人格をまっすぐに見つめ、その力を同情など抜きで正当に評価している。

 これは降谷さんの誇りと自信を支え、「無力な自分」から回復する力になると思います。

 

 降谷さんは、目の前で親友を失った消えることのない傷を抱えて生きていく。

 赤井さんへの殺意が消えるとき。それが降谷さんが自分を取り戻したサインなのだと思います。本来の降谷零は、決して人の命を奪おうとするような人ではないからです。

 

「敵に回したくない男」。

 その言葉が赤井さんの降谷さんの能力とレジリエンスの高さへの紛うことなき正当な賛辞であるなら、赤井さんは降谷さんがそのトラウマを乗り越える力があることを、誰よりも信じているのだと思うのです。