Hyakuyo's Box

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降谷零と彼を巡る人々の心理学的分析・考察

【心理】「情報屋」降谷零

 なんだかいつも降谷さんの弱い部分にスポットを当てているような気がするので、「降谷零がいかに有能か」についても考察してみたいと思います。

 

 今回は、精神分析ではなく認知心理学の話になります。

 認知心理学は専門ではないので、知識がぼんやりしている…ご笑覧ください。

 

 降谷さんは、ゼロという公安警察官や協力者を統括する部署に所属していながら、自ら実働する人です。実働させたいならもっと適切な配属先があったんじゃないか…?とも思うのですが、きっとゼロがどうしても欲しがるほど優秀で有能だったのであろう、と私は勝手に脳内補完しています。

 降谷さんがキャリアなのかノンキャリアなのかは不明ですが、きっとこれからゼロティの警察学校編で明らかになっていくのだと思われます。

 

 さて、一口に「優秀、有能」と言っても、その評価にはさまざまな観点があります。具体的に、降谷さんはいったいどのような点で有能なのでしょうか。

 キールは降谷さんことバーボンを、「情報収集及び、観察力・洞察力に恐ろしく長けた探り屋」と評しています。

 この台詞から、降谷さんの有能さが具体的に考察できそうです。

 

 まず、「情報収集能力が高い」というのがどういうことなのかを考えていきます。

 

 人間はさまざまな情報(=刺激)に囲まれて暮らしています。特に人や物が多い場所においては、その刺激は膨大かつ雑多なので、人は自分に必要な情報だけを取捨選択して生きています。これは「カクテルパーティ効果」という現象として有名ですが、パーティのような雑多な情報が飛び交う場面において、自分が必要だと思う情報だけに焦点を合わせ、他は拾わずノイズとして処理するという働きが、人間の脳には備わっているのです。

 

 しかし、刺激量をどのくらいの取捨選択できるか、つまりどれだけ敏感に刺激を受け取るかということには、かなり個人差があります。耳や目や肌などなどから入ってくる情報(刺激)を、取り入れすぎてしまう人もいれば、取り入れなすぎる人もいるのです。

 

 この点、降谷さんは、刺激について平均よりは敏感な人であるということは予想できます。そもそも鈍感な人は情報屋に適性がありません。

 

 一般的に刺激を受け取りすぎてしまう人は、非常に生きにくいことが多いです。なぜ生きにくいかというと、あまりにも多く刺激を受け取ると、持っているリソースでは対応しきれないからです。処理しきれないのです。

 このような人たちは、蛇口からジャージャーと流れてくる水(刺激)にいつも晒されて「あわわわ」となっている状態です。蛇口の弁を調節したり、水を容器に入れて処理したりできればいいのですが、そのような手段を思いつくことができなかったり、思いついても現実的に対応できなかったりするので、あわあわしてしまうのです。

 いちいち音や光に過剰反応してしまっていては、たぶん公安でのお仕事や犯罪組織への潜入は務まらない…。敏感であればあるほどいいというものではないのが難しいところです。

 

 ところが降谷さんはそうではありません。

 基本的に降谷さんは、人より多くの情報を敏感に察知して浴びている思われます。が、それに「溺れる」状態になることがありません。降谷さんの敏感さは「非常に敏感」というより、降谷さんが処理可能な範囲内ぎりぎりの上限で敏感くらいの絶妙なものなのだと思われます。

 それは1つには、取り込み過剰にならないような適切かつ十分な取り込み方ができているから。そしてもう1つは、膨大な情報を適切に処理するリソースをお持ちだからです。

 

 降谷さんの潜入姿である安室さんは大変よくしゃべる人ですが、あれを見ると、本体の降谷さんは相当に語彙力が高く、また情報を迅速に概念に変換し、周辺の情報や記憶と結びつけて思考し、言語化できる能力が高いのではないかと予想できます。

 情報を受け取ったあと、その情報が何を表すのかを正確に同定し、思考する、ということがものすごく速くできるのです。しかもおそらく、複数の物事について同時処理できます。

 

 また、組織内で評価を受けているということは、その情報処理の質がすごく高いのだと思います。いくら情報を迅速に処理できても、その認知自体が歪んだ非現実的なものであったり、統合の仕方がおかしかったりすると、周囲には評価されません。降谷さんは、この認知を非常に的確に、先入観なく行うことができるのではないかと考えられます。また、それができるということは、記憶力が良いということでもあります。

 認知的な処理過程が迅速で質が高く、記憶力も良い。これが、降谷さんのリソースの高さということになります。もちろん、このような能力は、知能と相関関係にあります。

 これが、降谷さんの知能は相当に高いだろうと考えられる理由です。

 

 降谷さんがトリプルフェイスを使い分けるどころか、「百の顔だって演じ分けて見せる」と言っているのは、入ってくる刺激に対して自分のリソースを経済的に使う術を心得ているために出てくる台詞なのだと思われます。

 降谷さんはおそらく、思考するとき、感情をとりあえず脇に置いておくことができるタイプの人です。思考している間は感情をしっかりとコントロールしているので、「感情が思考を邪魔する」ということがなく、そのため、そこに余計なリソースを使ったり、思考に主観的なノイズが入って現実を歪めるということがないのです。

 

 キールの言う「観察力、洞察力」というのも、おそらくここから来ているものと考えられます。

 観察力というのは、「どれだけ対象を細かく見られるか」ということと、「細かく見たこと(部分)をどれだけ再統合できるか」ということに関係します。多くの刺激を受け取り、その刺激について感情を抜きにして思考を巡らせて統合し、言語化することができるので、組織から「あいつは観察力が高い」という評価が得られるのでしょう。

 また、洞察力というのは、正確で質の高い観察によって得た情報を複数突き合わせて思考し、そこに現れていないことも適切に推測するという、かなり高度な力です。降谷さんはその土台となる観察力が非常にしっかりしており、記憶力も良さそうなので、頭の中でそのような操作が迅速かつ正確に行えるのだと思われます。

 

 要は「自分が受け取る刺激の量と、自分の持つ使用可能なリソースの量のバランスが取れているか」ということが問題で、降谷さんはそのどちらもがすごく高いことによって、「情報屋」として高い評価を受けているのだと考えられます。

 

「ゼロの執行人」での狂気の運転は、この迅速かつ正確な情報処理能力と運動神経が揃うことによって、初めて可能になったものと言えるのではないでしょうか。

 

 ここまで書きながら、ちょこちょこと頭をよぎるのは、あの方々の姿ですね…。

 諸伏景光さんと赤井秀一さん…。降谷さんのクリアな思考に「感情」というノイズを必要以上に注入する男たち…。

 基本的に、思考する際に感情をそこに混ぜ込む傾向は、子どもに多いです。大人になると、その感情の割合がどんどん少なくなっていきます。

 もちろん誰でも、思考に感情は多少は混ざります。そうでないと、感情が丸ごと内に抱えられて抑圧された状態になってしまい、「気づかないところで水漏れを起こしていた水道によって、心の中が水浸しになっていた」という大変な状態になってしまうからです。

 降谷さんは、おそらく萩原さんや松田さん、伊達さんの死によって受けた感情的なダメージまでは、何とかコントロール可能だったのではないかと思います。

 ただ、自分の構造にあまりにも深く入り込んでいた景光さんの死は、降谷さんを感情的にさせるのに十分であり、その感情が思考過程に影響を与えすぎることによって、赤井さんに対して冷静な判断ができなくなっている…。

 

 こうなると、景光さんの死が降谷さんにとって、いかに衝撃的な出来事であったかという話です。その亡くなり方が非常に衝撃的なものであったことを差し引いたとしても、出来る男・降谷零の思考をここまで狂わせる景光さんという人は一体何者…?そのパーソナリティがとてもとても気になります。

 

 警察学校編を座して待ちたいと思います。