【心理】降谷さんはなぜ赤井秀一の姿になったのか①
いわゆる「火傷赤井」さんの件です。
メタ的に見れば、読者に「赤井秀一は生きていた!?」という謎を深める作用をする行動だったと思うのですが、それを差し引いて考えても、この行動が降谷さんの赤井さんに対するたいへん複雑な心情を端的に現しているようにも思うのです。
そのへんを、心理学的に考察してみます。
「自分ではないものになる」というのは、遊びとしてもよく見られる行動です。おままごととか。
ただ、「姿形まで他者に寄せて、その人になりきる」というのは、やや遊びの範囲を逸脱しています。
私は、コスプレをする方々は、それによって「癒されている」のだと思っています。自分が好きだと思ったもの、魅力的だと思ったものに同一化することで、日常生活に疲れて不安定になった心の構造を強化というか修繕する作用があるのではないかと。
クラインという素晴らしい心理学者の理論なのですが、赤ちゃんはお母さんを「良いお母さん」と「悪いお母さん」に分裂させます。おっぱいをくれるのは良いお母さんで、おむつかぶれでヒリヒリさせるのは悪いお母さん、みたいな感じです。
そして、「良いお母さん」を自分の中に取り込む=同一化することによって、自分を「良いもの」として肯定し、心を形成していくのです。(これはとても、とても雑な説明なので、詳しく知りたい方はクラインの著書をご参照ください…。)
このとき赤ちゃんは、お母さんを「理想化」したりします。良いお母さんの中でも、「ものすごく良いお母さん」です。この「ものすごく良いお母さん」と同一化することによって、赤ちゃんは、自分のまだ壊れやすい自己感をさらに強化、肯定的なものにしていくのです。
このようなメカニズムは、赤ちゃんに限ったことではなく、大人になってからも作用が続いています。
ちなみに、理想化は上のような性質を持っているために、「理想化していた対象」が自分の理想とちょっと外れたことをすると、主体はすごく怒るのですね…。「だまされた!」みたいな。
それは、「せっかく理想的なものと同一化して自分を強化、肯定しようとしていたのに、これじゃあできなくなっちゃうじゃないか!」という怒りです。理不尽ですが、同時にすごくよくわかります。
では、降谷さんは赤井さんを「理想化」し、同一化していたのでしょうか?
理想化ではない、というのが私の結論です。降谷さんは赤井さんという超人みたいな人を理想化しなくても、自分が充分に超人であることを理解しているように見受けられるからです。これは変な自己愛ではなく、他者と比較しての冷静な分析ですね。はい、降谷さん、あなたの自己評価は正しいです。あなたも超人です。
ではなぜ、降谷さんは謎の変装を行なったのか。それには、2つの要素が関わっていると思います。
①降谷さんが赤井さんを(バーボンがライを)嫌っていたこと。
②景光さんの件。
この記事では、①について考察していきます。
降谷さんは組織時代から、ライ(赤井さん)が嫌いだった。仲が悪かった。
前の記事でも書いたように、赤井さんは愛着による自己感がしっかりしているので、誰かを「すごく嫌い」になることがないように思います。人は人、自分は自分。環境によって揺れ動くことがありません。
ですが、降谷さんはそうではありません。降谷さんの根底には「不安」があります。自分の存在を常に疑っていた幼少期を持つ(と私は思っている)降谷さんにとって、他人というのは良くも悪くも重要なファクターです。バーボンと安室さんがすごくよく喋るのは、降谷さんが無意識の中に抑圧している「人とコミュニケーションを取りたい」が滲み出ちゃっているのでは…と思わなくもないです。
特に降谷さんには、景光さんや警察学校の友だちに助けられ、努力してここまで来たという意識的な自負があると思われます。そこへ、ひょっこりと赤井さんが登場します。降谷さんはおそらく、身体的・感覚的にキャッチするはず。赤井さんから醸し出される安定した自信。安心感。それゆえの余裕。
これは降谷さんのコンプレックスを刺激します。自分と同等、あるいはそれ以上の能力を持っている男が、自分にないものすら持っている。しかもそれは、努力によって手に入れられるものではない。取り返しのつかない時間の中に、それはあるのです。何より、それはたぶん降谷さんが、すごく欲しかったもの。
バーボンとライがいつ出会ったかは不明ですが、この頃には降谷さんは、少なくともエレーナさんと萩原さんの死は認識していたと思います。自分が自分を受け入れるための愛着を形成してくれた大切な2人が亡くなっている、という絶望の事実と直面している中で現れた、何もかもを持っている男。
降谷さんの「嫌い」は、「羨望」と「投影」だと思います。
羨望や嫉妬は、「自分が欲しいものを人が持っている」ことで生じます。それゆえ、奪ったり、引き摺り下ろしたりしたくなる。この要素はあると思います。
ただ、降谷さんにはそれだけではない複雑な感情がこれに付随します。それが「投影」です。
「投影」というのは、クラインの理論で言えば、自我構造を守るために分離した「悪い自分」を他者が持っていることにし、その人を「悪いやつだ」と思うことで自分を守るという作用です。ただし、外在化(他者のものだと考えること)したからといって、その「悪い自分」の部分が自分の中から消えるわけではないので、これは一時凌ぎの方略にしかなりません。その後、成長とともに自我構造はしっかりしていけば、この「悪い自分」を自分の中に受け容れても大丈夫という状態になり、投影は収束します。
おそらく同じ組織にいても、スコッチ(景光さん)はそれほどライに嫌悪感を持たなかったのではないかと思います。なぜなら景光さんは、赤井さんと同じように愛着形成によって自我がきちんと構造化されているからです。ライによって奪われるものが何もないので、一緒にいることは苦痛ではないはず。
ただ、降谷さんは違います。ライと一緒にいることで、コンプレックスを刺激される、プラス、自分の中に生じる、認めたくない「羨望という嫌な感情」を常に感じなくてはなりません。
降谷さんは、それをライに投影します。すなわち、「お前なんか嫌い」です。
しかしてその実体は、「俺のことが嫌い」です。正確に言えば、「愛されるべき人に愛されなかった、そういう自分が嫌い」です。
おそらく降谷さんは、「ライが嫌い」である自分に苦しんだのではないでしょうか。それがライのせいではなく、自分の中の嫌な部分を投影している感情であり、原因は他ならぬ自分自身にあるということを、聡明な(きっと心理学もかじっているであろう)降谷さんは気づいていたと思うからです。
これによって、降谷さんの誇りはますます傷つきます。
一方で赤井さんはたぶん、ライだったときから、どうして降谷さん(バーボン)が自分のことを嫌うのか理解できなかったのではないでしょうか。その上で、別に嫌われても、仕事さえちゃんとしてくれれば文句はない、という方略をバーボンに対して取っていたと思います。それがまた、降谷さんを苛立たせる。
この嫌悪感がその後、降谷さんが赤井秀一に変装することになる上で、重要な役割を果たしたと思います。
続きは②にて。